hanabie

花冷え

手紙という文化

手紙を書こうと思う。
レターセットはやたらと持っているし、切手もたくさん常備している。外でも書けるように、レターセットを持ち歩く用のボタン付きファイルも持っている。
「文字を書く」ことがすきだし、「文字を読む」のもすき。ここの日記はきっと9割くらいをPCでタイピングしているけれど、それとは別に手帳に時々メモしていることもある。iPhoneのメモアプリなんかで管理すれば事足りるものを、わざわざ紙に書く。「書く」のが良いから。
高校時代の友人と時々手紙のやりとりをしている。今は多分、私が書く番。この子にも返事を出そう。手紙を送るのも楽しいけれど、ポストに手紙が入っていたときは本当に嬉しくてたまらなくなるので、その見返りを期待しているともいえるかもしれない。今回出そうとしている手紙は個人に出すものではないので、見返りは書く楽しさのみ。
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しれっと二日間、日記をサボりました。水曜日は23時時点でまだ帰宅していなかったのでパス。昨日は気分が乗らなかったから書かなかった。今日はとても書く気分だったのだけど、いざ書こうとしたら何を書きたかったかあまり思い出せず。どうでもいいことしか思い浮かんでなかったからだろう。
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悪い話。そして暗い話。卒業の季節になると、必ず思い出す光景がある。中学校の卒業式を終えて帰宅し、貰った花(なんと植木鉢に入ってた)をベランダに置いて、とても清々しい気持ちで写真を撮ったときのこと。
中学時代はほとんどいい思い出がない。良いこともあったから今生きているのだろうけど、そのほとんどは忘れてしまった。悪いことしか残らない。でもその悪いことも今ではだいぶ薄れた。あの頃生徒は荒れていたし、その対応に追われていたであろう先生達にもいい印象は持てなかった。卒業式が終わって花に向き合ったあの瞬間、中学生という期間を脱せたことを、私は心の底から喜んでいた。
意地悪な女の子たちはきっと自分が一番可愛くて、仲良さげにしているお友達はただ利用しているだけ。安っぽい人間関係だなと思って見ていた。それに比べて自分は少数の気の合うお友達を大切にできると思っていた。けれど十年経ってみて、私は中学時代の友人と誰一人として連絡を取っていない(意図的なものもあるが)。SNSの情報によると、彼女達は、まだ交流があるようだ。果たして本当の友情はどちらだったのか。それを考えると悔しくなる気がするけれど、高校以降の友人との出会いは本物であると信じているし、それは自分自身が成長したということなのかもしれない。